花ごころWeb News No.4 (2016/11/28発行)

沖縄・高江(1)

関東歌舞団 シノクセ

11月12日に、高江NIゲート前のヘリッパド建設抗議集会に初めて参加してきました。当日は、名護市街から路線バスで朝7時過に高江のバス停に到着。6キロ先のゲート前までは地元の方の軽トラックで送っていただきました。いつもは機動隊が道路脇に並んでいるそうですが、ゲート前道路がこの日と翌日に行われるツールドおきなわ(自転車レース)のルートになっているため、姿が見えませんでした。

参加者が腕を組んで「沖縄を返せ」を合唱して気勢を上げ集会が開始。沖縄の地でウチナンチュとこの曲を歌う(私には初めての経験)のは、とても感慨深いものがあります。
その後、各参加者による熱のこもったアピール、ここへ座り込めの合唱、高江への思いを歌った自作曲の披露などが途切れなく続きます。参加はこの時点で総勢250名ほど。

現地代表の方から、建設用の土砂・砕石の搬入量が当初予定の2倍を超え、ものすごいペースで作業が進んでいること、これら搬入物資はアルカリ性であり、雨により溶け出すと、やんばるの森の酸性の土壌を変質させ、この森の希少な生物種にとって脅威となるとの説明がありました。

民主主義国家において、国家によるこのような大規模な自然破壊が堂々とまかり通っていることに驚愕と憤りを覚えました。
その後、自転車レースの先陣が11時ころに通過するため、9時半頃に会場を新川ダムの入り口付近に移しましたが、一言居士による気迫のこもったスピーチ、合唱が続きます。

集会は午後2時半にお開きとなり、4時から一部参加者が名護市街地南部(世冨慶)にある名護警察書の裏に参集し、建物内に勾留されている山城博司さんに向けて、歌、スピーチを通して外から激励のエールを送りました。その後、道路に出ての抗議デモと続きます。

初めての集会参加でしたが、高江を守ろうという、参加者の熱い思いがひしひしと伝わってくる濃密な時間を過ごせたと感じています。
一人でも多くの方が現地に足を運び、脅威にさらされている美しいやんばるの自然と切迫した状況を肌で感じて頂きたいと思った次第です。


沖縄・高江(2)

関東歌舞団  ナビー

福島沖を震源とするM7.4の地震があった11月22日。私は沖縄に向かっておりました。

あとから知ることになるのですが、東日本大震災の余震だとか。福島に住む友人たちの顔が浮かびました。どんなに不安な気持ちでいることでしょう。原発の状況はどうなっているのだろうか。

そんな気持ちを抱えながら、沖縄の高江に向かいました。

集会には約200人の参加者がいて、北海道から九州まで、多くの方が本土からやってきていました。祝日や土曜日などは参加者も200人規模になるようですが、それ以外の日は数十人とのこと。参加者が少ないと、機動隊の対応も露骨になるようです。

歌や踊りのパフォーマンス、一言アピールなどが続く中、軍用機が不気味な大音量を上げて次々と低空飛行していきました。まるで「おまえたちなど、踏みつぶしてしまうぞ!」といわんばかりに。

地元の方の話では、いまだに拘留が続く山城博治さんに対する人権侵害がかなり露骨だとのこと。ご家族との面会も許されていないし、足が寒くて困るので、暖かい靴下がほしいとの山城さんの要求も拒否されているとのこと。あまりにもひどい弾圧に心が痛みました。

帰りの道すがら、タクシーの運転手さんから聞いた話、「本土から来た人たちの中には、沖縄に対するに差別の押しつけを平気で言う人が結構いる。『米軍基地がなくなって、中国がせめて来たらどうするんだ。基地反対だなんて、沖縄のわがままだ。運転手さんはどう思ってる?』など。サービス業だから笑ってごまかすけれどね。心はワジワジするね。」

「高江、辺野古の問題は、本来は沖縄ではなく、ヤマトウの問題。沖縄の人口は日本全体の百分の一。抗議行動には沖縄の百倍のヤマトウンチュウが来なくてはならないはずだ。」(11月24日の東京新聞「こちら特報部」で目取真俊)

高江で見たこと聞いたことを、周りの人に伝えていくことから始めたい。

 

 

「命(ぬち)どぅ宝」の心を世界へ